生ハムっておいしい

趣味や日常について

耳をすませば

母が、わたしの生まれた時からわたしに関する日記を毎日つけている。

多分、まあ弟の入院とか、書けない時期もあったから歯抜けかもしれないけれど、

22年分のわたしの毎日がノートに少しずつ蓄積されている。

わたしが文章を書けるようになってからは、母と交換ノート形式の日記。

上京してからは毎日の報告電話(過保護?)で聞いたことを、ザッとまとめて書いてくれていて、帰省したらまた交換ノート形式に戻って。のように。

 

昨日押入れを物色している時、その束を見つけて、

母とわたしの、紙に書いて残すこと、の似ている部分というか、紙に何か書くのが好きなんだなっていう部分を改めて感じた。

 

小学生6年生の頃、見れたもんじゃない自作マンガをノート20冊以上にわたって書いていた。話のオチなんて気にしないで、書きたくなくなったら強引に物語を終えて、次の書きたいマンガを書き始める。その頃、何に影響されていたかがモロにわかりやすい。

中学生以降は、このハイペースでの執筆(?)活動は無理だったけど、一作、投げ出さないでノート7冊分の物語を作った思い出がある。

 

高校、大学では一作もマンガを書ききることはできなかった。設定ノートを作って、人物プロフィールと、相関図(歳をとるとどうネタバレさせようと考えていたか忘れるので結末も)を書いて、数ページ導入を書いて終わる。なんてことを何度も繰り返した。

でも、機会があって小説とか脚本を書くことはあったし、脚本では、泣いたよ、なんて当時言ってもらえて嬉しかったものだ。

 

なんでこんな痛い自分語りが止まらないかというと、耳をすませばを見てしまったからだと思う。

自分はもう、原石って歳じゃないことは重々承知しているつもりだけど、でもなんだか諦めきれない、未練のような、しぶとい糸がずっと心に絡まっている感覚にも覚えがある。

 

最近、すばるくんの脱退を介してだったり、グレイテストを通してだったりで、

久しぶりにBJやヘブンリーサイコ(ちゃんとかけよ)を聴いた。

耳をすませばは通り過ぎてしまったけど、まだ、BJやヘブンリーサイコを聴きながら、またノートに設定やらなんやからを書き上げていって、脚本なりなんなり、形はなんでもいいから仕上げて行くことには、リミットは作られていないんじゃないかな、と、都合よく捉えることにしたい。

 

諸事情でここ2ヶ月ほど、裁縫に挑戦してみたり、手芸やってみたり、やってみたかったことをたくさんやった。

すごく楽しかった。

まだまだ、何をやってみても楽しいかも。

今日は、心地よく寝れそう。

明日からまた、東京で頑張ってみようよ、私。